モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

いわゆる、性癖のチェイサー

朝が東の彼方から来るのならば、漆黒は体を支えるマットレスから忍び寄る。一日が終わろうとする瞬間が、沈み行く意識に対抗して浮上し、寸断の空隙もなく全身を連れ去る。夜の群れ。あらゆる現実の蓄積──記憶、疲労、達成感──を押し流し、幽邃なる静寂、無意識の夜風に攫われ、途絶する。存在という存在の霧散。そして何故だか、紛いものの死を思えばこそ、一層磊落になり、剥き出しの快楽が目を覚ます。
…本当にシコらねば寝られなくなったか。私はとうとう習慣を人質に採られてしまったようで、性欲のいうことを聞かねば、明くる日を大いなる悔悟と共に迎えることになる。覚えもないのに、私はいつの間にか非実在艶姿と同衾しているらしい。認めがたき淫魔だ。だが真に認めがたきは、そうした勘違いを、こともあろうに受容する懐心だった。余力も、持たれる面子もなくしてしまったうえで、この傲慢な深淵は未だ自らの浅さを覚らず、風呂敷をひけらかすのだった。
不幸なことに、私の風呂敷は広い。何でも彼んでも手を付けて自分のものにしてしまった。そういうわけで、そういう思い付きがあったときに、とにかくあれこれ探さなくてはならない。風呂敷のうえで野放しにされた性癖が一体何に食らいつくのか、一緒に探してやらねばならない。時には貪食であり、時に貧食にもなれば、常として偏食であり、飢餓でも起こさない限り健啖家にはならない。そういう野獣が己の夜を捜しに風呂敷を駆けずり回る。長き探求である。
そうした日々に、思うことが一つあった。すなわち、性癖にもチェイサーが必要だろうということ。長くストロングスタイルを続けていると、そういう状況以外に猛烈な不足を感じてしまうことになり、精神衛生的な意味でも良くないだろうと思い至った。時々、普遍的な愛で中和することが、長く楽しむ秘訣であると無我のうちに悟ったのである。
いわゆる、性癖のチェイサーであった。