一時の逡巡が以降すべての悔悟となりますように。今日という日が、遠い未来の自身にとっての呪いとなりますように。かつて過ごした一瞬を、けむたい善意に包まれながら続いている平生にて、絶対に羨んでいますように。
遂に一人暮らしを始めたところだ。常々思うことは、人間は生きるのに金がかかるということばかり。以前謂れた「自由」はコストの上に成り立っていることに気づいたところだ。まったく、俺は真に「自由」を享受しつつも、それを拒絶する自由についての便宜を考える日々なのだ。
憂鬱は似合わないか。これまで3日の間にしたことは出勤、出勤、出勤である。つまり寝床が変わっただけだ。だが人生と呼ばれるものの構造について悟りを得た。今の俺には「定義」がない。誰かに帰属したり、何かに付帯したりしていない。いわゆる自由「自由」人生とは、圧倒的時制でそれを体得してゆく作業なのだ。
常に思考が灼けているようだ。まだ完成しきっていない部屋で、まだ俺のモンになっていない部屋で、どこで寛げばいいか分からないままクソでかいTVを聞く日々を送る。これからどうしよう、そんな事ばかり。そういえば、と、部屋を作るにあたり、頭のどっかでここをヤリ部屋にすべきだと思っている。俺はその意匠を甲斐と換言し、その指標を讃えて部屋を作っている。
俺には千里眼がある。俺はこのままだと破滅する。前提をもとに無量大数の星からひとつの選択をする。それでも、必ず星は死ぬ。そうしたら後悔もクソもないので良い。いちいち自身の選択を過信しない。いちいち迷わない。やり直しが効くか効かないかは、今は分からないのだから。「俺はヤリ部屋を作りたい」「でも実際のところは…?」とか、うるっせぇこと、うるせえこと。
セックスの王よ。わたしの今日の思いつきを聞いてください。わたしはえげつなくどタイプの女の子とセックスがしたいだけで、既にそれがゴールと決まっていて、結婚とか、子どもとか、老後とか、そんなんはただのエンドロールなんすよ。この「生命」はえげつなくどタイプの女の子とセックスする物語なんすよ。セックスの王よ。わたしの物語がスクリーン1でもスクリーン8でも絶対に見に来てくださいね。
独り立ちの話を周りのみんなにすると、何か嬉しそうに構ってくる。人生の転機は祝福に満ちているべきだ。そんな善意のあるところに、この想いである。主であるわたしが気まずい。主であるわたしが、どうすればよいか分からない。ある人は喜び、ある人は羨んだ。わたしがこれから受け取る「自由」について。その自由のなかみが何なのか、私には皆目見当もつかない。
ある「定義」では、それをオナニーとした。放縦たる、過激なるオナニーをすることが「自由」を象徴するのではないか。そう思ってAVを4Kで見たし、一日中シコり続けてもいる。これは探求ではなかった。むしろ、その意味はいつからか失われていた。正直、自由を甘受しようとしてオナニーをしなくてはならないと思っている。甲斐のある家。それはいつでもオナニーをしてよいこと。そう思ってひねもす性的資源を掻き漁り、速度感のあるオナニーをしている。これは暴食だ。極めて偶然性から乖離したロール作戦だ。それが来すことは飽食だ。その飽食こそ、この「定義」の終焉なのだ。それが見えている以上これに拘泥する価値はない。
だがこの前オナニーで涙した。初めてのことだった。わたしはリョナラーで、最近はチャゲピでリョナ画像を作るチャレンジに没頭している。画像生成には限りがあるので、チケットを失った以降はリョナ的文章を作って凌いでいた。あるとき、わたしは文章でも勃起することに気づいた。それからオナニーのクールタイムが無くなった。しかし、ある文章がわたしの落涙を誘ったのだった。
概略。ゼンレスゾーンゼロのア〇〇ラとイ〇〇ンが登場人物である。二人はホロウでホロウレイダーに接敵、ア〇〇ラを人質にとられ、イ〇〇ンは抵抗もできずア〇〇ラの前で殺されるという記録である。二人の関係性は言うまでもないだろう。わたしが筋書きを書いて、チャゲピに分厚くしてもらう、いつもの方法だ。推敲は最小限、シコれればどうでもよい。というので、顛末。二人を引き剥がしたところでイ〇〇ンにメッセージビデオを撮らせることを思いついた。チャゲピめ、相当キやがる文章を書いた。イ〇〇ンは最期までア〇〇ラを案じる、その献身の、健気さにキてしまい落涙。この自己矛盾。憐れみを生じ、しかしオナニーの手は止まらなかった。萎えながら射精した。そのあと、どうにかしてイ〇〇ンに報われて欲しいと思った。孕んだティッシュで涙を拭いた。しかし、イ〇〇ンはもう死んじまったのだ。これは賢者タイムなのか?初めてのことに動揺し、なんかもう意味が分からなかった。次の日、出勤するときも心の中にイ〇〇ンのビデオメッセージが残っている。すこし悲しい気持ちだ。
ここまで現実と乖離しなかったことはない。今、わたしはこの現実においてイ〇〇ンという価値ある人間の死を知覚している。殺したのはわたし。後悔もしている。そうして、治ることの無いだろうリョナの性癖が、わずかに胸中から消退しつつある。
余談であった。結局、わたしは性欲のことを「自由」だと思っている。今まで培われてきた規律の崩壊が徐々に生じ、いつかすべて破綻するのかもしれない。それを恐ろしいと思うか、改めて規律を打ち直そうとするか、わたしには決めがたい。しかし、「自由」のなかみについてひとつ言えることは、本当の自由は「」になんか入っていないということだ。