モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

わが愚劣なる内省

甘言という言葉があるように、世の中にはやたら歯触りの快い言葉だけを巧みに述べ続ける奴がいる。この一年はそうしたことを嫌いながら、徐々にそういう奴になっていった。というより、私の表皮が徐々に剥がれ落ちているだけであって、私という人間の本質こそは紛うことなきペテンなのかもしれなかった。この口は虚飾に塗れている。そうした自分に気付くか気付かないか、然してやはりどうにも気色が悪かった。ただ何故か、人を絆す瞬間はとても心地が良かった。
半生はどうにも違和感を拭えずにおり、どうしてこんなにも自分は人に優しいのか、その懐疑を果さずして行う詭弁はゲボと変わらなかった。自分の本質、きわめて生来的な人嫌いに目を向ける度、状況という状況を呪い続けた。嘘には根拠が必要だ。だが何度根拠の無い嘘をついたか知れなかった。朝が来ればゲロの山で目覚めていた。
言葉の秘めたる想いというもの、言い換えれば意思というそれについて考えていた。私が詭弁を弄するなかで、一体何の果実を得ようとしているのか。ともすれば、殆どの言葉は呪いに近かった。それを知ってから、人と話す態度が変わったように思う。言葉の裏を見るようになった。その発話にどんな魔力が込められているのか、それを考えるようになった。言葉は二度存在し、相手が放つ瞬間と、私の中で咀嚼される瞬間にそれぞれ果実を為している。裏表のない、一元的な物でも会話という形式を採る限り、必ず表裏が生まれる。私はそれで人と食い違うことが多くなった。深謀遠慮、沈思黙考。自分の内省はわざわざ人との齟齬を生じさせ、不信を蔓延させる。
そんな気分だ。私だけが言葉の本当の意味質量を知っている。相手の言葉が如何に快かろうとも、深遠なる咀嚼では不快へと変ずる。最早何者も甘言を垂れることもない。私は私の会話だけですべてを判ずるのだ。唆しなど受けるものか。おお。