モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

手稿:偏見について

女と喋っても面白くないというのは誤解である。しかし、この異質な疲労感は否定できない。この感覚は、生活圏の違う人間への配慮に由来するものだと思うし、そう簡単なものではないとも思う。男と女では話す言語が違う。話題が違う。ノリも違う、という当然のことについて、何度考えてみてもその狭小さに付けいられることとなって、自分は今まで誰かと波長を合わせたことがあるかとの問いに口篭ることとなった。偏見は真実を隠すという言葉がある。その引用で、自らも欺こうとするなら、その言葉は大いなる真実と言えるが、そうでないなら便利に換言すべきでない。尤も、この逆説は綺麗事でしかないのだが。偏見が綺麗事か。イメージを優先するか、事実を優先するか。この二点だった。大卒以外は却下する。会計はすべて男持ちでいい。それらは事実か、それとも理由を語ればただの偏見になってしまうか。いや、言葉によって理由が報われたことはない。言語とは意思表示であり意思の化体である。女がどんな偏見を持っていようとも構わない。しかし、それをひけらかすことに意味を感じない、男も同じで、その偏見の、また事実の是非を問うたり論じたりすることの意味が分からないのだ。これこそ口によって起こる不利益だ。行動で示せる部分はすべてそうした方が誤解が少ない。何故そうしたかを聞いてくるやつにろくな奴はいない。そんな尺度のこと。