モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

B型さんの悩み相談

 新年明けましておめでとうございます。今年の抱負は仕事を辞めること。それさえ出来たら2023年はとにかくなんでもいい。そういう話を出勤一発目にしたら切った張ったのごとき相談の嵐。仕事こういうところが嫌だから辞めると言えば、そんなことはしなくていいからとにかく店にいてくれと言われ、そういう在り方は店に迷惑しか掛けないので影を消しますと返せば、そんなことは気にしなくていいからとにかく店にいてくれと言われ、もう俺も何に対して気を遣っているのか分からなくなったので、出勤すんのがもう苦痛で苦痛でしょうがないと言ったら、出勤も言うてくれたら考えるからとにかく三月末まで、三月末までは頑張ってくれと頼まれる。もうこれではどちらがお願いをしていたのか分からない。上司、店長、同期、それぞれとも同じ話をして、同じ断り方をされ、俺もいよいよ頭がおかしくなってきた。寂しくなるとか、いきなり辞められるのは違うとか、そういう合理性を欠いた繰り言ばかりを告げられ、こちらとして一定覚悟を持って言ったことなのに、それでも情というものの持ちうるパワーに圧倒され、翻弄されている。俺の意思も十分澄み渡ったとは言う。二月ののちは最早何も言うまいとも言う。けだし、先方の思惑のとおり一時を凌げば万事が良かろうという、先延ばしが或いは有効でないかと思われる。今、この去りし2022年の決心として立てた辞職の覚悟が、この無意味たる二月のうちに揺らいで仕舞わないかという恐れがある。ただそういう点で、お前たちが言うような寂しさとは、このまま二月を過ごすうちに、俺の中でも発生し、増長してしまうものなのではないか。それぞれは、お前たちのお願いを優先して俺の決意を蔑ろにしているのではないか。この一手が、この過つまじき一手を過つことの意味を考えていないのではないか。あまりにも横柄でないか。ただそういう思惑も、ただ一定の強度をもった繰り言の前では何の意味もないのだろうと悟った。義を欠くことは承知のうえ、だからこそ、誰にも言わず、そのことを恥として、記憶の果てに焼却してやりたかった。話せと言うから話した。他にも沢山やり方はあったが、相談という手段を選んだのは、それが最も親切なやり方だろうと思ったからだ。

明日よりの出勤に意味はなく、その人生にも意味はない。そういう二月を過ごすものが、この先意味のあることを成し得るはずもなかろう。捻じ曲げられた死骸の再起を待つ、ただそれだけの時間。今辞めることと3ヶ月後に辞めることの違いを見出さなくてはならない。それがお前たちの、最後の使命だろう。