モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

それを信奉するもの

 筋トレをしている。その理由は、認められるため。この実存を内外に主張するため。俺が、俺をもっと好きになるため。

 研鑽の日々である。誰に指示されずとも、自ずと行うことに意味がある。目的はなく、タスクはある。苦痛と疲弊、それ以外は何もない。漫然といえば漫然と、水平的な運動を繰り返しては、いつ終えられるのか、またいつ始まったのかさえ分からなくなるような、茫漠さがある。

 あるいは、もうどこか既に倦んでおり、惰性という究極の運動になりつつあるのか。口先ばかりの成長と、実態的な徒労感と、それでも、ただ精確性を失して、さながらに、元々人生の傍らにあったかのような、おのれの意志とはまるで無縁の、超常としたものを感じているに過ぎないのか。

 だとて、その向こう側に何があると言うのか。俺が俺を好かれる理由など掃捨てるほどにあるというのに、これ程の金をかけ、これ程の時間をかけ、これ程の労力を掛けた末に何を手にしようと言うのだろうか。

 毎月一万円でプロテインを買うのと、毎月一万円の服を買うのと、それらの意義、ましてやその別を問うことなど、何をするにしても虚しいことに変わりはないのに、ただ問うこと、それ自体に価値があるのだと、蒙昧で、滑稽な自棄を繰り返しては、自らの提起を唾棄するかのような横暴さで、それこそ精確性などなく、運動というのは尊いのだと結論付けている。

 薄氷のような実存を重ねることと、尊大な虚飾を纏うことの別を、その意義を。繰り言を。