モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

A,うるせえよ

「藤田って何のために生きてんの?」

「幼稚なことを聞かんといてください」

……

「それを探すために生きてるんすよ」

……

「おお」

……

 

 この答えは正しくない。正解は「死ね」と言うのが正しい。

 なぜなら、そいつは「死ね」と言って欲しそうだったから。

 「死ね」とは言わずとも、極めて社交の場に相応しい言葉において同様の言葉を投げかけることが望ましい。

 この問題の本当に虚しい点は、質問者も回答者も、その正答が得られないことである。即ち、社会という思い遣りの装置を隔て、或いは単なる立場の競合という限界において、私たちの声はしばしば濁される。

 幼稚なことではないか。その求むべき意味が、その求む過程にあるなどというのは。人生の旅路、路傍の花に意味が宿るなどと考えることは。若きゆえに、大いなる稚拙を孕んだ迷言ではないか。

 人生とは死ぬことだ。生きて死に、それが結果だ。何のためにとか、何の意味がとか、価値がとか、存在しないはずの答えを追い求める思索ほど虚しいものはない。人生とは、それぞれが答えであり、それぞれが結果に過ぎない。

 もし仮に、それを知り、敢えてして、望むなら、それは死という他ない。死だけがそれを与える。俺は死ぬために生きてる。いつか人生の功罪が煮詰まったとき、解放の歌を歌うために生きている。

 俺はまた美しいことを言って場を逃れた。目的なき目的探しの旅。その自家撞着に気付かないために、また、虚言でわが身を飾ったのだった。