モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

ウマ娘が面白い理由

 黒羽と淑女がいた。黒羽は我が物顔で錆びた鉄橋を渡る。コツコツ。無機的な爪牙。雑踏という静謐の中で黒羽だけが音を生む。その悠遠なる闊歩は私と淑女にしか聞こえない。だとするのなら、私は淑女であり、淑女は駅員だった。パウン。そうして橋の主が現れた。朽ちた橋が戦慄き、巨獣の凱旋を歌った。絹を裂くような悲鳴がどこかで挙がり、突如として静謐は雑踏をも呑み、またすべてを遮った頃、私は黒羽舞う風の、揺らぐ淑女の髪を見ていた。彼女の髪もまた黒く美しかった。そして、乱れし髪を直しもしない彼女の目は、黒羽よりも艶やかで、また鋭く有った。私ではなかった。淑女は黒羽であり、黒羽こそは淑女だったのだ。その身に宿りし漆黒の爪牙。駅員の促しによって巨獣は眠り、静謐は貫かれ死んだ。ウマ娘 プリティダービーって名前ダサすぎんだろ

 

 いいのか?そんなこと言って。知らないよアタシは。どうなったって責任取んないからね。ただ──決意表明として──言わねばならんことがあるだろう。それは、俺がウマ娘 プリティダービーに対してずっと保留してきた想いである。

楽しいのか?──わかんないよ

楽しいのか?──わかんないよ

…──わかんないよ

 わかんねーけどサイレント(ス)スズカの髪の本数は数えたのでわかる。52本(暫定)

 最悪だ。キャラが可愛いことしかわからん。しかし、キャラが可愛いことでわかることがあるとするなら、それは俺がキモ・オタクだってこと。そして俺はキモ・オタクであるため、この推論は正しい。ウマ娘 プリティダービーのキャラは可愛い。オゥケイ(ネス)この前のPKサンクスって返しはかなり面白かったな…

 文章書いてると手が冷えるのってなんなんだろうね。あーあ、こんなことなら言わなきゃよかったな。ウマ娘 プリティダービーが面白いかどうか?そしてどう面白いか?なんて説明しようがないでしょ。面白いからやるんじゃなくて、やってる現実を解釈すれば面白いってことになるんだから。やってるなら面白いに決まってんのよ。それでいいでしょ。結局こうやって手冷やしながら書いたって本質には届かないわけ。しかし、言語には一定の公信力があるから、その本質の朧な媒体が、他者の目にとってはあたかも本質であるように見えちゃうのよ。そうなったら最早深奥に届くことはなく、幽邃の景色すら覚えぬ泡沫と同じ、儚い末路に散りゆく涙も枯れし刻なのよ。結局そういうことでしょ?俺が言いたいのはさ。だから信じないでよ。言葉なんかしょうもないんだから。自分で見つけたものにしか意味なんてないよ。知識なんてものは存在せず、経験だけがこの世で最も清く正しい、信じるに値するものなんだから。

  ウマ娘プリティダービーの面白い点は以下の通りです

・勝利ライブにモブウマ娘が闖入したこと

・4000円課金しても何も増えなかったこと

・・・・・・・・・・・・←余ったナカグロ

 

 四人は物陰から敵性生命体の様子を窺っていた。それは見世物としては到底品のない猟奇ドラマであったけれど、この惑星の文明を二月で破壊した膂力を前に、彼らは勇気ある演者〈ヒーロー〉になどなれるはずもなかった。今まさに同胞が殺されようという瞬間でさえ、ある種の危機回避的認知が作用して、空間と自己の間に見えざる隔たりを設けるばかりであった。それだけが彼らの取り得た唯一の行動であり、また人類の文明が殆どの確率で破滅する最も揺るぎない根拠でもあった。

 ただ彼らは幸運にも我に返る機会をもった。それが、ただ正義や信念と云った麗しいおべっかではなく、フィクションとノンフィクションを厳然と隔てるそれそのものの差異、生理に対し直接的かつ徹底的な嫌悪感であった。

 燻った硝煙と、死臭。死臭など嗅いだことはないが、それでもこれは死臭だと確信をもって言える。ケニーは、おのれの胃腑が覆ろうとするのに耐えながら、実直な感想を脳に刻んでいた。これが死であり、無気力であり、絶望であり…死である。内に抱いた恐れに音も立てず震え、最も矮小な存在としての自己をそこに見ていた。

 微動さえかなわない──それが、動けないのか、それとも動くべきでないのかさえ悟ることなく──唇に、僅かに篭った力を集め、言った。

「絶対に動くな」

 それが、即席に組まれた班の長としての全力だった。それでも、緊迫した糸をたわませるには充分の余地であった。

 ここにいる全員が全く同じタイミング息を吸い、そして吐いている。

 

 ウマ娘 プリティダービーの特徴というのは幾つかある。それは、殆どプレイヤースキルの介さない平等主義のゲームであること。それは却って、全く対照である資本主義と換言することもできる。そして、育成を趣旨においていること。リリース間もないこと。ウマ娘のグラが最高にキュートってこと。でもそれは俺の個人的な感想だから数に入れないでね。

 このなかで俺が最も魅力に感じていることは、すなわちリリース間もないことだね。攻略情報が出回ってないからこそ自分で楽しみを見つけることができる。自己流の育成ができる。つまり、どこまでも自分本位に進めていけるってところが、ウマ娘 プリティダービーの最も魅力的な点だと思う。

 尤も、以前このゲーム一週間後もやってるか分からんと言ったのは、そういった理由もあって、つまり、攻略情報が一週間で編み出され、強いウマ娘を育てる磐石が整えられ、残するはそれを機械的に作り出すだけの作業ゲーになったとしたら、それはくそつまんねーから辞めますというところでした。本当の話──随分譲歩したが──一ヶ月後にやっているかは本当に分からん。

 ソシャゲだつって今まで社会性、つまり話題の共有性を重んじたことが一切ないから、友達と一緒にやってる事実もそこまで拘束力のあるものでもなし、邪智暴虐の友人に唆されて4,000円課金したけどもこの程度なら普通に棄てられるからこの点も拘束力にはならない。

 でも本当にやめているかどうかは分からない。惰性は俺の中で最も確かな力である。

 

 そうして、呼吸が途切れた頃、アナラインが誰よりも鋭く言い放った。

「助けよう」

 逃亡者の一団と殺戮者の距離はおよそ500m。見たところ一体。単体の敵に対する心得はあった。不意打ちであれば、きっと問題はない。しかし、そのリスクを負う必要はあるのか?メリットは?最重要項目である班全員の生存を脅かしてまで守る正義など… …

 ケニーの額に険しい谷が刻まれた。その表情にはどこか哀愁さえ感じられた。彼が次に口を開く頃には、きっと残酷な宣告がなされるのだろうと思った。

 

でも実際ソシャゲってみんなでやると楽しい。これは久しい感覚であった。共通の話題を獲得し、共通の琴線を享有する。そういうのは、ソシャゲの最もらしい社会面だと思う。仮想だが、ウマ娘 プリティダービーはひとりでは絶対に始めなかった。友達に勧められたからこそ始めたのであって、この悦楽には俺単独では辿り着くことが出来なかったに違いない。

 そういう点で言うと、ウマ娘 プリティダービーであることが必ずしも重要では無いのだろうと思う。俺は、暇つぶしに飢え、話題に飢え、友好に飢えていたのであるから、それを満たせるのであれば何でも良かったのかもしれない。それが、今回はたまたまウマ娘 プリティダービーだったというそれだけ。そういうのもまあいいんじゃないかと思う。

 ウマ娘 プリティダービー俺は面白いゲームだと思う。育成して、結果を出すってのは万事に通じるところがあると思うし、擬似的にも本質的にも面白いと思うよ。

 

 「アナライン。お前の正義は……」

「陳腐?」

 「いや、最も崇高だ。お前が行くというのなら止めはしない。でも、それは独善だ。だから、行くなら、お前一人で行け。俺は君がいった後、必ず讃える。卑賤な生より崇高な死を選んだお前を讃える、墓を作る。」

 ケニーには分かっていた。自分の正義も、アナラインの正義も、そして何より、おのれの勇気のなさも、ただ、自分の立場を考えれば、時に理性によって正義を捩じ伏せなければならないこともまた、痛いほど分かっていた。それゆえに、脅しにさえならないことを言ったのだった。

 「ケニー」

アナラインが呼ぶ。その眼差しは依然鋭かった。

 「貫いて死ぬか、悖って死ぬかよ」

 ケニーはその時初めて理解した。自らと、この惑星の行く末と、彼女の視線が、もう既に絶望を知り、その末に、望むべき破滅の美しさを知っていることを──そしてそれらがすべて、今までの自分に欠如していたものだったことを。

 それでも、彼の顔には苦悩が満ちる。哀切に歪み、信念と合理性の狭間で窒息していた。ひとりの人間として行きたいのか、行くべきなのか。班の長として行くべきでないのか、それとも、ひとりの人間としてさえ、行けないのか。ひとりの人間、また唯一の班長として、呼気に餓え肺腑は覆る。膨大な痛みが堰を切り、涙が、滅びゆく星に落ちてゆく。

 彼は膝から崩れ落ち、音さえ立たなかった肉体が、生気を取り戻したかのように動性を得た。彼はひとりの人間として、あのすべてを喪った日から甦ったのである。

 そうして、大地に二滴の産声を垂らしたケニーに、アナラインが手を差し伸べた。

 彼女は瓦礫の砕屑を弄んでいた。彼女の手には運命が握られていた。そしていつか、運命さえも弄ばれるようになるのだろう。

 その掌上の宇宙に想いを託すべきか。ケニーはその時、最も非理性的な好意によって、班の重大事を決したのだった。

 

 ウマ娘 プリティダービー