モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

非公開の書状

お疲れ様です。藤田です。
先日、3月29日(月)を持ちまして業務を全うさせて頂きました。
皆様今までありがとうございました。
お身体に気を付けつつ、健やかな毎日をお送りください。
陰ながら、皆様の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
ありがとうございました。

以降は小話にでもお付き合い下さい。


 振り返ってみると長いのか短いのか、三年という月日は、人生に比べると短小で、二十代の春に比べるとやや長い気がする。
 自分にとっての青春がアルバイトであったというのは、少し納得のいかないものではあるけれど、ただ厳然としてそうあった以上、自らの青春をバイトに賭した事実は簡単に否定できるものではない。現に、この胸中に満ちた感情は、あの遠き卒業に見えた哀切と、殆ど同じ色を示している。
 しかし、「哀しいか」と問われても、「哀しい」と応えることはなく、哀切と表現しておきながらも、私自身はそれが何色を示しているのかは、いまだ判然としない。自らに悲哀を想起させる模様なのか、今は自己の心象に対し、今朝の薄暮を包んだ霧のような遮蔽を感じる。
 それが、きっと「実感のなさ」と云われるものの正体なのだろう。靄の中で模様は分からず、内容の捨象された影が黙するばかりで、私はただ、そうした曖昧さには憮然とする他なかった。この実感の欠如は、朝霧に包まれたために起こった──或いは朝霧などなくとも、私は無感動のままに、感傷を起こす機会を失したのだろうか。──その一世一代という瞬間に、最も相応しい感情で相対するには何が必要だったのだろうか。

 三月、有給休暇を消費するため、勤務に出ない日が続いた。そうした手前、ずっと考えていたことがある。班の行く末、そして私自身の往く末。無体な話だと今になって思う。それを案じたとて、その場に自分がいないのだから何の意味もない。過去を顧みることは余計な感傷以外に何も生まない。──やがて、ある未練の萌芽となりうる。──しかし、それでいて尚、この時、私の欲したものは余計な感傷だった。──余計と言える感傷、規定値を僅かに超える──感傷…を形成するには、そういった、自己を終わりへと誘う、一定の思索が必要だった。一世一代と云い、過ぎた感傷をもって終了に望むこれは、もはや殆ど死の仮想だった。
 その一環として、ひとつの決め事を[▅▅]班のオタクとした。
「31日に一緒に[▅]線入ろうや。」
「ああいいね、最期やから[▅▅▅]でパン食いながらやるか。最期やし赦されるやろ」
 しかし、奴は31日は用事があるから無理ということで、先週の26日(金)に退職した。話が違った。一環とは言うものの、私の計画とはそれが全てであり、また唯一でもあった。その機さえ逃した私は、自己の終了に対する確固とした様式を失した末に、実感のない最期を迎えた。この罪の所在の一切を、今や非実体となった友人に預けてよいのなら、以後数月という未練のために、奴の為した所を憎悪するものであった。
 もう少し友人の話をする。
 彼が退職した当日、我々は会って話をした。退職した感想を訊くと、「言うほど悲しくはない」と言った。とりわけ感受性の豊かな君さえそういうのなら、きっと私もまた何も持たないのだろうと思われた。現に悲しくはない。ただそう表明する心根に「淋しくないか」と問うても、易い首肯は促せなかった。依然、体内にわだかまる息がある。息は、硬く震える五体を彷徨い、出口を見つけられないでいた。或いは、出ていくことさえ、望んでいないかのような逡巡だった。淋しさと云うのは、わが須らく愛する同僚みなとの離別を憂うわけではなく、事実上不可避といえば却って事務的とさえ言える、そういった少量の寂寥に対して五体を阿るほど衰弱してはいない。何が、何が、記憶の可変性が、不安という不安を思慮の端々に挟み込むのだから、私は、かつて綴じた幾つかの記憶と、その恒久性、あまつさえ、その存在をも信じられないでいるのだ。忘れることもできる。だが、忘れないでいた幾つかの光景、そうした畢生を司る断片を、悠久の過りし以後の人生の一地点においていつか手放すかもしれないことが何より恐ろしく、また何より淋しいのであった。
コンコースの雑踏、[▅]号の窮屈さ、危機薫る[▅]号、人の降り頻る[▅▅]号、[▅▅]駅8:15以降の静けさ、喧騒の[▅▅▅]駅、ドアの感触、板の重み、寒さも暑さも、もう二度と体験することはない。手放してしまえばもはや遠ざかる一方の体験。今まで凡庸に感じていた日常の、ありとあらゆる瑣末な光景の、その有難さに気付く瞬間、私の胸中にふと淋しさが芽を生やす。これは、稀有な職種に就いたものの末路に他ならない。掌中から零れ落ち、所有から離れ、虚無に持ち替えた束の間は、この上ない虚脱感を生じ得る空隙であり、ある実存の喪失という意味で、至上の淋しさなのだろうと思われた。私は、この代替不可の満たされざる郷愁を、この後もずっと感じながら生きていく、その心持ちばかりは、哀切と呼ぶに相応しい。

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 私にとって、幸福とは特別を指すものではなく、凡庸こそが最も本質的な幸福だった。そのことに気付けたアルバイターとしての畢生は、きっと価値あるものに違いない。
 親の名と共に心臓に刻むなら、きっとこういったものが好ましい。──2021,03,29