モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

例年、通りまからん

”先週の厳しい寒波も収まりを見せ、今日は例年通りの気候になるでしょう”

ジルジルとノイズを孕んだ音声がラジオから出る。先月、長年使ったテレビが壊れ、代替として物置から引っ張ってきたものだ。一月経っても本来の調子に戻らない様子であったが、そもそもこいつの本調子を知らないので、もうこれが彼の全力なのかもしれないと諦めている。諦めているが、失望はしていない。テレビを失って気付いたのが、俺は案外雑把な情報しか求めていなかったということだ。形式に倣いわざわざテレビなんて高価なものを買ったが、俺自体がその高い価値に見合わない。鮮明な映像は要らず、ざらざらとした不透明の音像を得る。その曖昧さこそ俺にとっての十分。それは今まで生きてきて何となく分かったことで、今の俺を停滞させる最もの根拠だった。

湯気がくゆり眼鏡を曇らせる。睫毛に載った蒸気の微重を感じ、思えばこのインスタントコーヒーも、それを通じた感覚も、すべてが馴染みであった。その景色は昨年のものでありながら、昨日のものでもあった。確かな時制を得ながらも、ただその差異を見出すことは叶わない。爪は伸びる。髪も伸びる。このコーヒーのパッケージも変わったのかもしれない。だとしても、ここには現在の結果しかなく、俺がそれを感じるには余りに疎い目をしていた。

はあと息づいて、宙の温度を確かめてみる。窓の軋みはいつからのものか分からない。冷たい風が鼻を拭き、部屋全体をじわと染める。眼鏡のつるが金属らしく忽然と冷えた。堪らず外し、風に押されるまま手合いの椅子に腰掛けた。はあ、と言って冷たい。目尻に宿った滴が凍るような心地がする。重さは変わらないから分からない。肉を併せ、暖を逃がさまいと力んだ。がちがちと、軋みと震えを細かく刻んでいる。例年、例年通り、と言って寒い。無愛想な猫がやけに親密かと思えば部屋が寒いだとかの抗議だった。ごめんよと俯き窓を締める。ピシという音がした。息づいて、暖の残る椅子に凭れ掛かった。猫を踏んだ。

例年、なのか。やはり分からない。俺にとっては例年も昨日も同じだ。同僚と、例年ならこの気温はおかしいという話をした。ただその時は例年というものが分かっていたような気がしたのに、こうして独りになれば、時制などというものはどこにも存在しないかのように思えた。先週は寒い。今週は少し暖かい。この揺り戻しは不調に違いなく、そこに今年という特異性が確かに存在したと言えた。しかし、その云う例年に、同じような気候、同じような揺り戻しが存在したかどうか、それを確かめる記憶が、俺から一切欠如されている。だから、普遍と較べ、昨日と較べその差異を見出すしかない。だから、例年と較べることと、昨日と較べることには、その無意味さという点においては何の差異もないのだ。

すりガラス越しの灰色は、この地球をどこまで覆っているのだろう。ラジオが曇りの一日を報せ、大体の範囲は分かったけれど、その雲がいつかの過去から来たりよることは、きっと誰も知らないのである。