モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

ヨルシカのことなんていっこも書いてないよ

 一人旅だった。久しぶりだった。かつて当然のように征っていた旅路が、今では遠い情景のように思える。ただ一人であるという、それだけなのに。

 人生は一様ではない。そう知りながら、自分の人生は一様であると思っている。個人が考えを変えることなどありはしないと思っていたからだ。

 人は人と出会い、出会いの中で変容していく。そうした簡単な事実について、ついこの間知ったかのような親近感がある。単に生き方を変えただけではない。俺が俺のことを内省するようになっただけでもない。その中で、大切にしたいと思える関係に出会ったという、単にそれだけでもない。

 漠然と、人生の時期なのだと思っている。具体的ではないが、ただそういう時期に至ったということ。変節が来たということ。自分の価値観が任期満了を迎えたということなのである。 

 自分が変わることについて、ただ簡単には認めたくない自分がいて、そういう意固地さが、簡単な事実を遠ざけつつあることを、俺は知っている。それを知りながら、あくまでこうした現象を客観視することは、自分にとって、何か、意味があるような気がしないでもない。

 端的に言えば、これは初めてすることにおける、特有のためらいなのである。ただそれをそれと言い切るには時間が要されるという、それだけ、それだけのことであって、結局、こたえは既に出ているのかもしれないのであった。

 一人旅というのは、誰にとっての旅でもない。もちろん自分のためでさえない。俺は、自分のためにやることで、もっと効率的に有意義に自分を満たせることを知っている。そして、それを差し置いてやる一人旅というものの意味を、知りはしない。

 よく知りはしないけれど、やってしまったんだからしょうがないということが、往々にしてある。振り返れば、後悔一歩手前の事柄が、轍の横に散らばっている。でも、一輪の花が咲いていることもある。そして、それらの落し物も、一輪の花についても、それのためにわざわざ立ち止まったりはしない。

 人生は止まらない。止めようがない。己の意思を止めてはならない。この世に生まれて、何かが楽しいと感じたときから、ずっとそう思っている。感情を昂らせるためにやったことなら、その是非は、誰にも問われるべきではない。

 一人旅は楽しかった。それは変わらず、かつての俺に定着した、一定の趣味であった。それは良かった。変わらなかったことが良かったのではなく、楽しめたことが良かった。

 もう兵庫に帰るが、瞼を閉じればこの旅情が浮かぶ。網膜はじりじりと熱い。涙が出ているか。目を開けてしまえば零れてしまうか。ただの眠気にしては冗長な、旅のエピローグである。