モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

海も暮れ切る


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「上り坂と下り坂のどっちが多いでしょうか?」

という有名な謎かけがある。この答えはどちらも同数。上りか下りかというのは引っ掛けに過ぎない。

 3月の末に仕事を辞めたが、別に人間関係が終了したというわけではないので、4月の8日,9日はかつての同僚と旅行へ行ってきた。

 それは、俺がまだ現行の同僚であったときの慣行の名残である。しかしその内容は「卒業旅行」と題され、何かひとつの時代が終わるような響きをもっていた。  

 卒業旅行ということで、卒業生である俺が、日程と場所と段取りを決め、小豆島へ行った。

 小豆島へは行ったことがなかった。瀬戸内海が好きで、四国には何度も訪れたことがあるものの、島となればすこしハードルも高く感じていたのかもしれない。念願叶って、と言うほどではないけれど、実際、山と海がひとつの景勝として見える場所が好きな俺にとって、小豆島は素晴らしい土地だった。

姫路から船に車を積み、島の観光スポットを巡った。島は、山道と海岸線が殆どであり、木漏れ日と海面の照り返しで、常に眩光を浴びていた。内海を渡る風は強い。潮と緑の匂いが風に乗って鼻腔を刺す。呆然、それはどこで立ち止まっても絶景に巡り会える場所であった。

 旅行に出る前、同僚とどこへ行くか話し合った。正直、俺は彼らと行けるならどこでも良かったと思っていた。石川へ行くのも、愛知へ行くのも、大分へ行くのも、きっとどこであれ、同じように楽しいのだろうと確信していた。どこへ行くかは重要でなく、誰と行くかが重要なのだと、そうした考えは、彼らと一緒にいるからこそ、発露したのだろうとさえ思う。根のところではそうでなくとも、こういう場では、何より大切にしたい考えであった。

 内海を眺めていた。強風にもかかわらず、凪いでいた。呆然、傍白を吐いていた。

 「結局、エゴで辞めたんだよな」

 未だかつての職場に残る友人たちが、かつての職場のことについて話しているとなりで、そんな感傷を浮かべていた。聞き覚えのある単語、着物にまつわること、お客さんのこと、店のこと……話題に交じることもできるけれど、そういうのも卒業していかないといけないと、ただ悲しいような感傷を浮かべていた。そういうのも、徐々に忘れていかないといけないのだろうと思って、すこし切なくなっていた。

 忘れることだけが精算ではない。だが、だがと言って都合のいいことばかり言っていると、今の自分に嘘をつくことになる。そんな気まずさがあった。難しさがあった。どうにも、上手くやれない気がして萎えてしまいそうになった。俺は結局エゴで辞めたのを悔やんでいる。変え難い運命というものがあると、無体なことを言うより他にないのだと、既にさいは投じられ!覆水は盆に返らない!この歯車は誰にも止められないのだ!

 そうやって気焔を吹いて、俺を、裏切りの事実を煙に巻いている。

 この旅のなかで、二人を後ろから眺めていたことを、強く印象付けていた。この集いがある限り、俺にとっては喪失でなくとも、彼らは確実に何かを失っている。そこの社員として、同僚として、本来分かち合えたはずの時間を失っている。かつて三人で並んでいたはずの景色から、打ち放たれた存在について考えていた。

 結局、誰もがわがままだった。俺が辞めると言ったとき、彼らは辞めるな!と迫ってきたし、俺も辞めたあとでどうしようもない後悔を抱いている。あの職場で、久しぶりにちゃんと辞職したのはお前くらいのものだと言われたが、そんなことはない。結局、俺も破れた紙片のように、かつての職場に思い残すことがあるし、関係についても整理できていない。あれもまた傍白だったのだ。俺も俺の運命について叫んでいた。決意を果たしてしまったがために、もう戻れなくなってしまった。歪なまま、どうしたらいいのか分からないまま、責任も義務も藻屑となるような激流に、身を委ねるしかなくなったのだ。

 デッキで夕暮れを見ていた。赤い太陽が地平に沈む。瀬戸内は狭く、水平線は途絶えている。緩やかな尾根に遮られ、ひと足早い夜が訪れる。

 あの問い掛けの答えはもうひとつある。人生は不可逆である。だから下り坂の方が多い。高め上げたものも、避けられぬ滅びがあり、いずれ風化してしまう。あと何回、彼らと旅行へ行けるか分からない。会わなければ、忘れてしまうものばかりだ。悲観的だろうか。なにかを案じているうちに、その重要性さえも忘れてしまうことは、これまで生きていて何度もあった。それと同じくしてしまうのは違うような気がするが、ただそれも慰め以上の意味はない。

 あれから、放哉の詠んだ句を思っている。