モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

 豊かさとは生まれのことだ。それ以外にない。ありとあらゆる選択が肯定されること。それが即ち豊かさなのだ。

 仕事を辞めると言い出して三ヶ月が経った。俺はもう死んだ方がいい。きっとどっかのタイミングで俺の意思は既に枯死しており、今はその余勢を借りているだけの亡骸でしかない。辞めるという選択を肯定できない人々と、他ならぬ俺自身が、そいつを責め殺した。俺も、そういう意思はきっと死ぬべきだと思って殺したはずだった。

 マイナスの方向へポジティブなのがもっとも気色悪いと思う。そうして、一年半が経った。辞めようと思い出したのは一年前。言葉に出来ず半年が経ち、その点で言えば進展はある。ただ行動に移すだけの器量と、自信と、勝算が欠如している。感情だけが先走り、堰を切ったというだけに過ぎない。辞めてどうなるのか。良くなるのか。お前がか。お前が良くなることが、社会にとっていいことなのか。そもそもお前は、善悪の規範に関与してさえいないのか。

 傲慢な死と、望まれぬ生の間でさまよっていた。

 豊かさを見果てぬ夢だと思う。俺は一生豊かにはなれない。決まっている。自尊心にも自己愛にも意味がない。自己を肯定する動きも、働きも、何もかもが無意味だ。どんなに身体を鍛えようと、どんな絵を描こうとも、限界というものは存在する。それは俺の次元において存在する。俺の設けた限界を他者が易々と越えていく。この先、何億何千という選択のなかで、その事実に直面するだろう。その度に絶望と発狂を繰り返し、生涯を呪い、やがて生は呪いで染まって、ついに社会はこの宿業を断つことができない。

 俺はこんなにも頑張っている。とうに尽きた気力で骸を運んでいる。その虚空を虚栄心で満たしながら、希望に躍らされている。