モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

暇な時何見てんの?

「んー、ポルノっすかねヱ」

 暇な時はポルノ動画を見ている。楽しくはない。面白くもない。それでもなお連綿と快楽を表出し続ける被写体の営為を見ている。

 意味は、それを思いつくより先に行動自体があらゆる疑義に覆い被さる。意味として、大義として。そういった休暇は、往々にして意思より行動が先んじる。この合理性審理機構は事物のみを審議し、事物を取り締まる維持法には時限がない。急迫性とは仮想の文言でしかなく我々はいつも緩やかに永くそして徹底的に事物を根絶する。人間は長期的には死んでおり、いつまでも時限に拘束され急迫した報酬を過大に評価するが、機関は永遠を約しており、差し迫る報酬も懲罰も水平的に評価する。その契約は機構を存続し得る最低限の数量を切るまで貫徹される。ゆえに、“我々”は最期の瞬間まで“我々”であり続けることができる。しかしながら、自己という単一の存在までは保証しないのだった。

 我々は存続する。それを信じて長期的な計画を練っても良い。私が死んでも我々がいる。我々がいる限り私の遺思は母体と同化しながら存続する。それを信じるならばポルノを見る必要はない。あまねく、我々の急迫性は無用なのだから。