モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

赤く呆けていたい

 究極的には我々は20代ですべての活動を終了しなくてはならない。死というただその一概に固執せずにいるのなら我々の希求する世界の真理を暴くために費やせる時間は生を受けて30年の頃にしかない。私はこの畢生を決定付ける確信をこのおよそ8年で見出さなくてはならず妥協という妥協を辞してそれを定めなくてはならない。死とは瞬間を指さず生のあるがままに緩やかかつ曖昧に続くものだ。私は現に死に続けている。それは我が30歳に向かわんとする意思の抜本的な目標なのだ。私はあるいは生き続けているが死に続けてもいる。この緩慢な20代の頃にきっと私を殺害しうる事由はなく例えあったとしてもそれを発見しうる程度の知見は持たないのだった。あるいはとうに気づいていたとしても自らの稚拙にかこつけ向かう余年の空白にきっと何かを詰め込めるに違いないという事実無根の妄想が逞しいばかりにそれを非するに違いない。それは我が母の子を願うこと愛する我が子に一切の絶望なからん呪いの解けるが如く薄々そして確実に希望とまやかしとの境界が判然としなくなってくる。既に母の手中を離れ自らの放縦な自由意思に従って生きれば生きるほど私は確かに傷ついていくのだった。あれは単なる幻想に過ぎないのか。私の私による私のための単独政治は自らを傷付ける行為に他ならなかったのか。揺籃し育まれた日月を空に見る。あれは単なる幻想に過ぎなかったのか。

 世界でたった一人真実に気付いたものがあるとするならそれはきっと数学者ではなく詩人なのだろう。月は夜を飲み込み空は意思を飲み干す。遍くを希求する我ら人間の星と遍くを睥睨する彼方の星々が泣いている。そんな夜に。