モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

責任の取り方を学べ

責任という言葉が本当に嫌いなわけで、しかしながら、世のおよそのことに責任は付随して回る。あらゆる行為は責任を盾にして保障される、というのがこの世界のシステムだ。あらゆる行為の裏には権利があって、権利の裏に責任が潜んでいる。今更だ。

私は責任が嫌いだけども、責任の概念については理解しているつもりだ。責任を嫌うわけは、寧ろ責任について学んだためなのだ。なにかを請うためになにかを差し出すという原理に賛成しないわけではない。衆生の権利を保護する名目は営為の鉄であると言おう。責任にも色々な種類があって、例えば成功可能性の高いものに対する責任は、さほど嫌いでない。却って、それは成功可能性の低いものに責任を払うのを、本当に嫌っているという示し合わせでしかない。

エピソードを披露しよう。
先日、職業体験の一環でグループワークに取り組んだ。それには二日に渡って構想を練る時間が与えられた。皆が初対面のチームであって、最初の進捗は遅々たるものではあったけれど、時を追えば皆積極性の増し、「良いもの」を作るという大志のもとで懸命にワークに取り掛かった。
ワークは、二日の構想期間を得て最終プレゼンとして発表するものであるが、そこへ至るに、最終チェックが阻んだ。そこでチェックされるのは、一口にプレゼンの出来である。ここで「良」のみなしを得なければ、他人の時間を奪うに値しないものとされ、プレゼンは棄却される。
言うと、私達のプレゼンはこれを突破出来なかったのだ。
後日談において、すべてのチームが一旦ここで挫折を味わったらしく、棄却の誠実性は問われるべきものであるけれど、当時はかなり落ち込んだ。計画に要した二日をまったくの不毛と解されたのであり、無能を証明されたのであり、存在を否定されたのだから落胆の余儀はない。
二人の審査員がおり、先に評する一方が、こちらのプレゼンの不出来を言明した。続くもう一名もそれに従う。「お前らの言いたいことが伝わらない発表方法である」彼らの軸はそういうものだったし、言い換えればその一点に限っていた。
質問、いいですか、と言った。曇と張り詰めた大気を裂き、肩より震えた声で言った。私は可能性を感じたのだ。彼らがその一点において不可とするのであれば、そこを改めれば可能性が見えてくる。チェックは全グループで最初に受けた。後続を考えればまだ幾分かの時間があった。発表方法は悪かったとして、では内容はどうだったかを訊けば、「良くやってる」との応えがあった。だからどうした、とは言わなかった。
私達もこのプレゼンの内容は良いものだと思っている。ここで諦めるのは、この二日間を烏有に帰すもので、あまりに虚しい。だから───
と言ったところで過ぎったのが「責任」の二文字である。
つらつらと続いた歯切れは死にかけの声となって、極めて「一応言っておくか」というふうに───やらせてください、と括った。私は、自分にも聞こえないくらい小さく「責任」と呟いていた。

責任は取り難い。なにかを差し出してなにかを得るというのは単独であれば、負わすも被るも己であるし、被害が予測不可能に拡がることはない。しかし、これはグループのミッションである。四人合わせて一人を形成している以上、私の発言は四人の発言で、私の被る責任は四人の被る責任である。実際経験上、私は全体を代表することに乏しかった。未知の状況にあえなく怯んだのだった。あれは恐らく、非難に怯えたのだろう。グループの結束は図れど、やはり私達の関係構築は一夜城でしかなかった。付け焼き刃は脆い。私はたった今まで審査員に傾聴し、凝視していた顔面を、初めて床に向けた。頭の中では「責任」が小さく鳴いていた。

責任は取らねばなるまい。あの経験があり、少し考えてみたのだった。
その後、私のふたつ左に座っていた男が、かくも良い意味で軽率に「残った時間でやります。機会を下さい」と言った。責任が頭蓋でひとつ大きく鳴って、静まった。男は責任について言及しなかった。彼は恐らく、やれない場合のことを考えなかったのだと思う。彼はグループの皆をよく見ていた。どういう人間か、力量や、情熱をも見通して、高らかに囀った。結果、プレゼンは成功した。
私は、彼が居なければ、未だにあそこにいたと思う。あの冷たい檻の中で、自信なく凍て縮んでいたのだと思う。責任の牢を破壊することはできないと信じて、神の如き絶対性を、遣る瀬無く崇め、また縋るしかなかったのだろう。
兎にも角にも、かの神は嘘吐きであると知り、今ここにいる。

思うことがあった。現在は過去の尻拭い、つまり、過去に生んだ責任を、現在の自分が果たしていることも有りうる。
松山行きのバスの中、睡眠不足と倦怠感を携え淡路島を縦断しているときにそう思った。
このバスは7時に三宮を出ている。最近はずっと5時頃に寝ていた。起きるのは絶望的だったのに、過去の私はこのバスを選んだ。選んだから、ここにいる。
責任は取るかどうか考えるものではない。だいたいは行動によって示すべきなのだ。そのうえで、「できない」を考えるべきではない。「できる」を念頭に置いて行動し、それでできなかった場合に、初めて考えるのだ。


あの二日間の意義として、彼は恩人だったが、彼女がいた。