モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

渺然

つい、うとうとしてしまった。

大学の図書館から本を借り、次いでに半分ほど読み終えてしまおうと予定していたのだが、場相応の静寂か、それとも暖房か、いずれにせよ私は、課題図書の序文を読み終えたきり、眠ってしまっていた。

単行本、頁数およそ300。中近世の農村に於ける家族形態から、ある限定下においては依然継がれる男性主義的なイデオロギーの無論拠性を立証するものである。──特に興味がない。読む時も、常に別の思慮に要領が割かれた。ずっと、無料で食える昼飯のことを考えていた。

心当たりはあった。貧困した学生の為に無料で飯を食わせるところがあるらしいと誰かが言ったのだった。皿さえ洗えば無料で食える。飯、と云うよりかはそういう体験を、学生のうちにしておきたかった。幸不幸の縄によって、只今の金銭に瀕せざるところは一時の不幸とも言えた。俺は、皿を洗うだろうか。金を払えば済むところを、敢えて阿漕な方法で決することが、苦学生でもない俺に、果たして為し得るのだろうか。──そもそも、そんな店が本学の近隣にあるのか。上等級の人間を寄り分けた様なこの町に、貧者に対する一粒の慈悲などあるのだろうか。定形としての幸福に満ち満ちたこの町には… …そう考えた先に、束の間の眠りがあった。

ゆうべは、寝ながら「南無八幡大菩薩」と言ったらしい。睡眠という深淵に入る前は、いつも唯ならぬ思考が過ぎる。ある時には「リタ・ヘイワース」と言った。時には「リタ・ヘイワース」と言った……どれだけ掘り起こしても、具体的に思い出せるのはそればかり。それでも俺は、眠る前の一瞬と起きた一瞬に、ある断片との邂逅を迎えるのだ。ああ記憶よ。俺を起こすのだ、と。

「つくえのパンケーキ」

静かな図書室。つくえのパンケーキ。妻と夫の社会史。手記「好物を教えることは、ナイフと腹とを差し出すのと何ら変わらない」。寓話的無料飯。

それだけの事象がそれぞれ等分に邂逅する可能性を秘めていたのだろうか。この中に、取り分け重要な事象など存在しないのだから。

「つくえのパンケーキ?」俺は問うた。

「つくえのオムライスだろ。」自答した。独りごちた。

机の部屋。岡本駅を南に出て、西へ向き道沿い、川を跨いだらすぐ、左にある。

知らない店。誰かから聞いた。誰かは思い出せるが、思い出す必要もないくらい、俺の人生には些末な人間だった。「デミオムライスが旨いらし」人づての、更に人づて、で漸く至る。人間を二体消費して辿り着いた飯だ。700円、無料ではない。人手も費やした。

 

「定額オプション800円」「通話料33000円」「いや逆やて」「は?」白髪で見分けが付かん、男か女かさえ曖昧な店員が、ただ俗的な一面として一方を「お母さん」と、対して「お父さん」と呼んでいる。デミオムライスは、ちょっと辛かった。
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