モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

最悪の話

最悪の話してもいっすか。

 

 

"この期に及んで最悪の話をしたいという欲望が起こって、その求められるままに最悪の話をしよう。最近は何やら幼稚な破壊衝動が高まりを見せた。強制に対する反抗であって、無論、正当の意味を履き違えている。しかし、事実として課題はクソみたいに嫌だし、他方では、課題をしないと終わっちゃう現実を否定できなかった。だから私は課題に対し、その存在と内容さえも侮辱することでどうにか自意識を保とうとした。正対という正方向の作為によって、行為の意思を担保した。思えば、この二三年はずっと同じことをやっている。同じことをやっているのに、慣れることはないし許すこともできない。サッカーが嫌いという仮説には早々に達していたが、結論に至るには9年掛かった。およそ9年かけても嫌なものは好転せず、変成もせず、消滅さえせず、気色の悪い憎悪として永劫溜まり続ける。思えば、畢生はそんな具合だ。

 

──やりたくないことをやっていると「どいつもこいつもぶっ壊れちまえ」という気持になる。高校の友人に貸してもらった『BLEACH』。或いはそれを読む以前から、結晶ならざる思惑を抱えていたのかもしれない。「破壊」。或いは破壊以外の方法は到底解決と呼べない。心中を満たす厭世は、やはりそう言っている。だとしたら、破壊を欲しているのではない。もう破壊することしかできないという無力、非力、その非難に他ならない。俺が非力ながら破壊できるものとは──

 

イラストが破壊衝動の遊水池となった。その憎悪が自己に向かわないために、猟奇的な絵を描く。便宜ではそうなっているが、実際のところ真俗は知らない。幸不幸の詭弁的ロジックによれば、幸福は誰かの不幸であり、私から絵を抜けば不幸の人間が完成する。いずれにせよ、余人の不幸に裏打ちされた吾人の幸福は、一般的な幸福論によって弁証される。何より、私が壊すのは現実の人間ではなくデータであるから何らの実損も生みようがない。造物主による被造物への攻撃という趣向だから人間とはどこまでも無縁。ただ、自爆出来ればどんなに楽だろうと思ったことはある。或いは、こうならずに済んだ可能性をどこかずっと探している。"

 

 

最悪の話をします。

 

 

うんこってたまに浮いてるときありますよね。あれって中身が空洞だから浮くんでしょうけど、あれに入ってる気体って「オナラ」ですよね。

もしあなたがオナラしたとして、そのオナラはああいったうんこのうろ(うろ…空洞)から満員電車を降りるかの様に這い出てきたものだったとしたらかなり最悪じゃないですか?あと、オナラで浮いてるうんこってヤバくないですか?あと、Twitterのbioに「成人済」って書きながら実際30,40代とかだったらかなり嫌じゃないですか?あと、発表まで残り1時間しかないのにこんなブログ書いてんのって

 

──最悪じゃないすか?

 

以上