モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

関係

朝起きたら熱烈なプロポーズが目に飛び込んできた
私は寝惚け眼をひん剥いてそれにふぁぼを付けた
その意味が「既読」なのか「良いね」なのか「約束するよ」なのかは誰にも分からない
その赤裸々は吐露に対し、ふぁぼはあまりに曖昧で不誠実だ
だが一方で最も情熱的な返答とも言える
解釈を委ねるということは、これ以上ない肯定の表現に他ならない
「あなたの思っていることが、わたしの思っていることですよ」
つまりそう言いたいのだろう

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人間関係での悩みというのは、いつも人生に引っ付いて回ります。
それは、我々が絶え間なく人との関係を構築していることの証明であり、破綻させていることの証明でもありましょう。
理由はなんであれ、一度作ったものを破壊するのはやはり心が痛みますよね。
できればずっと関係を持っていたいが、そうもいかない。
あらゆる原因において、我々は関係を終えていきます

一番多いのは物理的距離でしょうか。
仲の良い友人が、親の都合で引っ越しする。会える距離なら良いですが、県境を跨ぐとその関係は無くなったも同然になる。私にもそういった経験があります。
両者に跨る物理的な距離はそのまま心理的距離になります。だからそれが、東京と大阪くらい離れていたら、両者は互いの人間性を非難するくらいの関係性になるでしょう。

友達の悩みもそれに起因したものであると言えます。
高校を卒業し、皆思い思いの進路へ向かったわけですから、当然会う機会も少なくなります。
そうして会わないでいると、両者を繋ぐ鎖が錆びていき、いずれ朽ち落ちます。
足下に転がる鉄屑を見て友は嘆いていました。

ではそうならないためにはどうすれば良いか。


以前したキショいツイート(支離滅裂な文章に文字数制限との戦いが見て取れる)ですが、何か此処に重要なヒントを見つけた気がします。
物質的距離、精神的距離、インターネット、遠い、仮想空間、不可能を可能にする。そうか──
前述の式を引っくり返せば、心理的距離は物理的距離ということになります。
つまり、どんなに離れていても、心のどこかに思い浮かべていたのなら、人と人を繋ぐ鎖が朽ることは決してないのだ、ということです。
とは言っても、ただ漠然と思い浮かべるのでは意味がありません。その人の人格や容姿など、きっかけは必ず必要になります。
Twitterはとても良い媒体ですよね。
ほとんどの人間が自分のアカウントに人格を投射しています。それは、ネットワーク空間に自己を複製しているかのようでもあります。
その空間で綴ったセンテンスは彼ら自身の発言であり行動とも言え、そこでのやり取りは現実空間での触れ合いと言っても過言でないでしょう。
仮想空間、近年流行りのバーチャルですが、囁かれるのは現実との混同です。技術が熟れていく毎にその境界は曖昧になり、懸念が呈されます。
私はむしろ、これについては曖昧でこそあれと思っています。
現実で会うことが当人の人格に触れる行為であることは言うまでもありません。それと、当人がネット上に投影した人格とネット空間で触れ合うことを区別する必要がどこにありましょう。

私は思います。Twitter上でのやりとりは、現実での交流と何も変わりません。リプライであれリツイートであれ、またいいねでも、空リプでも構いません、ただその人を意識して何かを発信したのなら、それはその人自身と触れ合ったことに違いないのです。であれば、そうした関係が続く以上、関係の糸が途切れることはありません。
ですから、最も恐るべきはフォローを外すことなのでしょう。

人間の心は忙しさに荒みます。綺麗事なしのTwitter世界は、他人の書き込みなどどうでも良く、すべては自分の愚痴と妄想の聴衆にすぎず、そんな書き込みもまた、誰にとってもどうでも良いという現実があります。
そうした中、自分より愚痴のやかましいアカウントを見つけると、リムっちゃったりミュートしちゃったりして、閉塞的で、ある種神秘的なタイムラインを作っちゃう。自分にとっては素晴らしい空間であり、私自身も大いに納得しますが、そこで進歩は生まれませんよね(ここで記事を四日寝かせたため、何が言いたかったかが分からなくなる。進歩がどうとかって話してないよね)

─o閑p話p休a題i─

要するに、現実で会えなくなっても、Twitterで繋がってる限り、その関係が終わることは無いと言いたいのです。物理的距離は、その概念をバーチャルに持ち込めばいくらでも短くする事が可能であり、それは心の距離と言っても相違ありません(上引用ツイートの意志は「実際は遠くにある二人が、『心音を聴く』という密接の距離でのみ起こりえる現象を介することで、まるで二人が密接し、その関係が心音を聴くにまで及んでいると錯覚してバチクソに勃起した」ということでしょう)。

大切なのは、リアクションを送ることです。「うんこ」といったツイートでもいいねを貰えると、嬉しくて禿げます。嬉しくて禿げたら、今度その人が「うんこ」とツイートした時にいいねしてあげます。きっとその人も嬉しくて禿げることでしょう。
そうした繋がりが、我々を友達たらしめる要素なのかも知れません。
ハゲに栄光あれ、私はそう言いたい。(こういう着地もありかぁ~~~~~~~~~~~~~)