モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

エロい

他人の恋愛を見ていていつも思います。「この男にもこの女の属さない社会があり、かたやこの女にもこの男の属さない社会がある。その社会においてのみ彼らが見せる顔について、彼らが互いに知ることはない。かのごとく、ひとつのベンチに肩を寄り合わせ座っているカップルでさえ、互いに知らぬ顔を持っているというのは、なんだかすごいことなんじゃないか」ただこれは漠然とした感想に過ぎません。これを思い浮かべる度に、この感想を言葉で表現しようとするのですがいつも失敗します。今回の「人格ってエロすぎん?」ももうほとんど失敗してますよね。

今回の引き金となったものは、百合イラストでした(こんな辺境に引用するのは気が引けるので遠慮します。『リズと青い鳥』の百合、いいね済)。
単純な思考なら「素晴らしい」の一言に尽きるのですが、今朝はなんかよく分かんねえ神と交信していたので、なんかそれじゃ済みませんでした。
百合界隈でも結構有名な方なんじゃないでしょうか。私自身、前のアカウントでもフォローしていましたし、現在でも度々タイムラインでお見かけします。有名とあってその技術は並々ならぬものでございました。構図は言わずもがな、線の引き方や色の塗り方、影の落とし方など、単純にイチャ~っとしていれば、「ああ、イチャ~っとしてんな」で終わるもの、その方はイチャ~の中にゾワッとしたものを挟み込むのです。
リズと青い鳥』は見てません。見ようと思ったのですが、まず『響け!ユーフォニアム』を見てないので先にそっちを見ようと考えているうちに、茫漠たる時間が流れ、公開期間は過ぎ去っていました。この作品については、Twitterで聞きかじっただけの見聞──青髪ロングの子がド百合・黒髪ポニテの子がノンケながら関係を持ちまくっている──しかなく、しかも定かではありません。ですから、このイラストの解釈を大いに間違っている可能性がございます。実際、ここでオリジナルの作品を出されても、全くおなじ感想を抱いていた確信があります。
「百合」に対し皆さんは何を感じるでしょうか。最近では同性愛者にスポットライトが当てられ、国際的にも理解が広まっています。ですが、やはり我々(約70億重人格)には、「異性同士で番を成す」という遺伝子レベルでの通念があるのではなかろうかと思うのです。今同性を愛している人も、その麗しい真実に気付く前までは、異性愛すべしという観念を少なからず持っていたのではないでしょうか。
思うに、「百合」とは、いわば「罪」なのです。社会通念に反した、あるいは天界を追われた、忌々しくも美しい真実を探し求め、時に冒涜の蜜をもすすった貪欲者なのです。
イラストでは、いわゆる「罪」を犯す前段階、共に金輪際へ落ちようという崖のひとつ手前のところが描かれていました。現に、馬乗りにされ、身躯の芯を抑えられた彼女の顔には汗と焦りが浮かび、その手は弱々しくも抵抗の意思を示しています。かたや馬乗りの彼女の瞳は完全に黒、それどころか、下に敷きたる彼女の顔すらも見ず、眼下闇の底一点に注がれているようにも見えます。
弱き意思に対する強き意思、愚かな善人に対する賢しい悪人、正直者に対する悪魔など、そういった風情が感じ取られました。
かくして「罪」に巻き込まれたなら、それを隠そうとするのが一般的でしょう。私の言った「人格」とは多分このことを指します。人格は基本的に自身が構成しますが、他人からの影響を受けやすい事実があります。例えば、友達に足が速いねと言われれば、自ずと足が速い気になる。優しいんだねと言われれば、自ずと優しい心が育まれるように、人格の形成には、自意識と他意識が混同するのです。そして、とりわけ他意識を大切にする文化があります。それが、「世間体」や「体裁」などと呼ばれる、客観的自己なのです。
中には、他人の目などどうでも良いと感じる人もいますが、多くはそういったものを気にするのではないでしょうか。人間は社会的な生き物です。「人間は孤独では生きれない」というのは、そうした習性に基づく至言であります。ですから、人間は自ら進んで社会の輪から外れるようなことをしません。これもまた、細胞に刻まれた通念に違いないのです。
さて、その社会から外れる方法とは、単純に罪を犯すことです。何をもって罪とするか、人間はまた、法や慣習を持ちます。それを逸脱した行いこそが罪にあたります。では同性愛が罪なのか、と問われると、一概にそうとは言えません。法律において、それが認められている国もあれば、固く禁止している国もあり(ググったら出てきた程度で、法解釈はどうか学説はどうかまで見ていない)、やはり包括的に罪かそうでないかを断ずることはできません。慣習的にはどうでしょう。先にも書いたように「異性愛すべしという遺伝子レベルでの通念をもつ」のなら、同性愛はそれを逸脱した行いと言うに相応しいでしょう。実際、街中で見かけるカップルの多くは男女であること、同性愛者の方が「同性を好きになることっておかしいことなのかな」と疑問を呈するところなどから、そうした観念の存在を認めることができます。よって、百合を『罪』と言うことは可能です。
私は上ツイートにおいて、その「『罪』を犯したる自己を隠すため、客観的自己を取り繕う」ことに対して、「エロい」と投げかけています。先に書いた通り、この「エロい」という表現は失敗しているので無視して貰って構いません。ただ、この「エロい」という表現を紐解かなければ、ここまでよく分からん口舌をぶちまけたことも無意味になってしまうので、それは避けたく思います。
エロい、極めて直感的な表現であり、筋道立った説明は、当の神との通信が途絶した今、不可能です。ですから、今から語るのは単なる予想に過ぎません。

『百合ってエロいよね』

左様、「エロい」という言葉は直感的でなければなりません。そのため、深い洞察などはもっぱら不要なのです。ああ、言葉を尽くして何かを語ろうとした三日前の私のなんと愚かなことか。えも言えぬことを名状しようなどと、抱いた感情の陳腐化を招くことを知ればいい。
ただ、「両者の関係は背信により繋がり、だからこそ結束は強い」「大枠から放たれた、いわば辺獄のような美しさ」「一方的に強いることは支配的・独占的で良い」「抵抗の意思の残ることがむしろ良い」「美しい秘密・秘密という美しいこと」「背徳が苛むこと」「思い切った決断」「打破の精神」「革新的」「幻想的」「儚げで強か」「倒錯的愛」「他のどこにもない愛」「女子高生」「まともであることのなんとくだらないことか」「ガラスの剛性」「セーラー服」「ポニーテール」「過ち」「思春期」「排他的関係性」「偏執」「傾倒」「束縛」「運命共同」「崖っぷち」「馬乗り」など、雑多なこれらをうまくまとめて、一切の陳腐化・抱いた感情とのほんの微々たる齟齬を生まず、かつ論理的に表現できる人間がいるなら、それはヤバいことだと思います。そんなヤバ人間がいるならぜひご連絡いただきたいものです。
ともあれ、私の限界はここです。
「エロい」を「エロい」以外で表すこと能わず、そしてそれを恐れている。これで、エロを語ろうとしたなんて呆れるばかりですよね。





あーあ、全部言ったらスッキリしちゃったな。
ねえ、どこか行かない?
ーどこかって、どこ?

だーれも知らない秘密の場所!
君となら見つけられる気がするんだー。
ー決まってないんだ。そんな、あるのかどうかわからない場所を探すなんて、付き合いきれないよ。

あるよ。確実にある。
ーえ?

ねえ、私がさっきまで、なんの話ししてたか覚えてる?
ーたしか、エロがどうとかって・・・

そう・・・
ーちょ、近・・・・・・え?

夕焼けの放課後。河原の土手は少し寒い。
やや冷たい秋の風は、僕らの汚れを洗ってくれる。でもぜんぶは洗わない。少しだけ、ほんの少しだけ汚れを残す。それは、今日という日に印を付けるようで、だから僕は、二度とこの日を忘れない。
「ナイーブだね。」とあの人は笑う。
西日のほどに染まりゆく白。

僕は今日、「エロ」を知った。