モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

彼方に影

8-28(土) 

 その普段の退屈とは異なるもののしかし退屈をかんじており、いつもなら辟易とせざるを得ない空虚さに対してあらゆる言語的表現を挟めないでいた。まるで退屈が実体の怪物として襲いかかるようであり、そういう意味でいえば確かにいつもより恐怖していた。誰にとっての誰が何者かであるように、自らの存在も誰かにとっての何者かであるという点に規律され、我が友にとって私は友であり、我が兄にとって私は弟である。そうして秩序立った関係性、即ち自己の存在意義だけに縋りながら今日も夜を滑空するのだった。

 しかし誰かにとっての友であることと誰かにとっての弟であることは並行でありつまり交わることはなく、私がその直線を滑ったとて両方を同一にすることはできない。私が弟なるは我が友でなく、我が友は我が兄ではない。そうして二夜の程を弟として過ごし、東京で一人夜に耐える兄と隔地的共同作業に赴いたのであった。友には申し訳ないと思いつつそれでもやはり夜は広大であったのだ。

 兄の様子を声の調子だけで測ること、それはむべなるかな誤診であるか、或いはかくも信じ難い現実なのかもしれない。我が兄はかの過ぎし日より無変哲の表情で、無変哲の高慢で、無変哲の稚拙さでそれは大層安心した。一年、やほり人を変えるにはあまりに短い期間であり、また外部的倨傲気質の無感覚派は微笑とも嘲笑とも付かぬ笑みをエミュレートしていた。場所も質も変わったというのに、何も変化がないとは……しかるに、やはりそこは安心した。

 郷愁というはやはり保守的であり、盲目的な懐古趣味の果てに抱く病理質の幻覚である。私は病人だ。病人の見る夢があるのなら、果たして病と夢の別はどこに見い出せばよいのだろう?夢見る病人の本質はどちらなのか。病か、あるいは夢、夢を見るから現実に病むのであり、現実に病むために毎夜毎夜夢を見る。

 私は兄の唯一たる理解者である。兄はスズランのことを“リサ”と呼ぶ。“リサ”はスズランの本名である。なんとも気色の悪い奴だ。だがキショさに秀でるのもよく分かる。得てしてキショさに陥る理由さえ痛いほどよく分かるのだった。それは血族として、理解者として、もしかすれば友として、私はスズランをリサと呼ぶのかもしれない。実兄が現に慕い、そう呼ぶものを。

 

10-23(土)

 普段通り過ごしていながらもいつもとは違う光景、心象の中にあり、退屈は退屈といえど、ただ将来的な期待への布石として、自己のなだめとして日々を過ごしている。既に危うきは去り平々凡々と余年を過ごせばいいだけの人間になった。この二月の間に私は棺桶への道をせっせと整備していたのだ。なんと気の楽なことだろう。退屈と凡庸、怪物と病気、それらは結局、我がものであって、私の拡張性、つまり欺瞞それ自体によってどうとでも所有を放棄しうる。退屈も凡庸も嘘に過ぎない。

 あの日常とこの日常が交差する。私は兵庫で、兄は東京、おのおのの理想郷があり、焦がれるのは夢の中。ただ言葉を交わせば即ち心が通う。行こうと思いさえすればいつでも彼の遠望に立てる。そして金さえ払えばいつでも朝焼けを滑空し会いに行けるのだった。

 兄は痩せていた。見えぬところが痩けていれば知らぬままだが見えるところで痩けていた。彼はそういう面立ちに対して二年前と同じ服を着ていた。だから顔だけが二年の時を隔てるようであり、内情も、センスも、アウラも、即ち無形的なものはすべて、私の部屋に置き去りにされたかの郷愁とまったく同じなのかもしれなかった。

 私と兄を隔てるもの──それは時間であり、空間であり……──が、その実、自己の認識に空想された憂慮──ああ、無体な憂慮である──に過ぎないことに気付いた。私とて、何の心構えもなかったわけではない。電信に聞く、伝聞に聞く彼の状態──東京で兄は5kg痩せた──に対しまったく白痴であることはなく、そうした非映像的な感覚において組み上げられた影こそ私の懸念であり、半ば確定的な血縁、血を分けた兄弟なのであった。

 思いの外部屋は綺麗で、窮屈さは感じない。模様も単一でなく、落ち着いた色味を装い、その中に趣味を点在させていた。娯楽も程々に各方へ手や足を伸ばし、週に何度か近所の友達を招き、ボードゲームなどと大学生じみた遊戯に取り入っては、何ら退屈のない日常を過ごしている。

 何ら病気と怪物とは無縁の日々を、カレー臭の漂う町で、送る。