モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

強度の欺瞞

 かつて善性は存在せず、それを説明する言い訳だけが存在するのなら、私は敢えて、それを善性と呼ぶだろう。

 結局、私の直感は正しい。この道に悟入してから改めて言おうと思ったが、人に不要なものを買わせる行為は、悪そのものだ。そして、それが高額であり、人の生計を圧迫するものであれば、これは何らか行政によって規制しなければならないほどの巨悪なのだ。人を詐取すること、詐欺と我が業務はこの点で通じる。人を襲い、憔悴させ、籠絡し……その一連が何かの意において善性を勝ち得たことなど決してない。我々の目に見えているのは、自らの隆盛、充足、驕りである。本質的に、我々は簡便な成り上がりとして、詐欺を好む。

 気付いたのだった。

 先だって母が我が職場を訪れたとき、我が心中に響き渡る止水の滴、正気に戻るときの不快感、滲み立つ音色に勘付いたのだった。正常を逸し、正義を逸し、すべてに悖った自らの現状に投じられた嚆矢だった。音成りは返す返す呼び起こす。それはきっと自らの善性、自らの正義、自らの正常、生活。私はここにいて、自らを錯乱に叩き落とし、狂気とそれに気付かぬ愚鈍さを手にし、他人を詐取の道に招いていた。それが現の職場。現の心情。現の存在意義。