モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

ただびとよ、

昼間に味見程度の酒を飲んだ。神無月の折、俺だけ暑いと感じるくらい上気した。度数の強い酒は良い。合理性の象徴である。

 

いつか「生き急ぐべきか」と思い至ってから数日過ぎた。

あれからやったことといえば原神のプレイ時間をちょうど一日分増やしたくらいしかない。本当に生き急ぐべきと思ってそんなことを言った気がするのに、俺はまだ、自分が死ぬことを知らないようである。「長期的には、我々はみな死んでいる」ケインズの言葉だった。

生き急ぐとはどういうことか。昔の記憶が甦る。進撃の巨人でコニーがエレンのことを死に急ぎ野郎と言っていた。生き急ぐことと、死に急ぐこと、これには何の違いがあるのだろう。自らの肚も、偏在意識に於て死ぬことと生きることは変わらんようだと言っていた。我々の向かう方向はすべからく死であって、道の名前は生であって、ただ死にかけた瞬間に二叉の道が拓けるだけのような気がした。その時初めて生を実感するし、ともすれば不断なんて漫然と死んでいってるに違いなかった。

短期的にはみな死なんのだろうか。目先の利益ばかりに固執すれば当座餓えた生には充ちるし、死ぬわけはない。ただこれは死に急ぎではないか。もう忘れたが、コニーはそんな短絡的なエレンを見て「死に急ぎ野郎」なんて言ったのかもしれなかった。吾人は長い目で見たとき死人なのに、活路に秀で単刀直入にやったら「死に急ぎ」と評される。これがなんとも皮肉に思えた。エレンは、その瞬間では間違いなく余人を凌いで生きていた。間抜けはこんな感じに生き続けるのできっとコニーは死んでいない。事実は何も知らない。俺も間抜けだから、きっとすぐには死なないだろう。ただ、エレンが主人公という点を捨象して、依然死んでいないからこの正当性は怪しい。無論、エレンは死んだかもしれないし、俺はなんにも知らない。だが進撃の巨人という具象を省いたとて、俺は間抜けだけがずっと生き続けていると思っている。そういう人間が、いつか終わるべき人の世を終わらせない。社会に穴を空けながら、欠陥品の生に縋り続ける。

人はみな生き急ぐべきだ。自らの天佑を試し続け、その尽きる頃には潔く死ねばいい。俺はそうおもって、いつか生き急ぐべきだと思い至った。

あれから幾日が過ぎた。原神を始めて五日経った。班長を退いて六日が経ち、武庫川で喚(さけ)んでから八日経った。城崎からは二週間かけて帰還し、ヴァイオレットエヴァーガーデンはライデンとエカルテを往復し、二度とライデンには戻らなかっただろう。それだけの事象を過ごしたのに、俺はまだ自分が死ぬことを知らない。

死なないとさえ思っている。

 

〈余談〉

本当はこっちを起こすために書き出したのであるが、特急の感情が来たため通過待ちをしていた。

先日、俺はエロ動画を見ながら飯を食った。食欲と性欲は両立しないらしいが、俺にそういう常識は通用しないと思った。事実、初めてではない。俺は何度も裸の女の踊りを見ながら飯を食ったし、嬌声の降り掛かった白米を頂戴したこともある。情欲の味覚に尽きたことはない。自負も自信も事欠かなかった。

だが、今回は違ったのである。

洗いざらいしてみりゃ不和の要因は確かにある。端的に言えば「白米なら食えた」のであった。今回、昼食に選定したのはカップ焼きそばである。商標を挙げればUFOなんであるが、俺は概して一平ちゃん派にあり、畢竟のところからしマヨネーズ大好き人間なのであった。だから今回も練り辛子とマヨネーズを載せ、輝夜月に言うところの濃い濃いソースをぶちまけた。断じておくが、これ相当旨いんで味障の批評には当りませんよ。今回は相性がカスだったというだけでして。

従うに、俺はこの味覚爆弾を擁していざぽrんふbと対峙した。今思えば動画の選定も良くなかった。端的に言えば「裸踊りなら見れた」のである。明かすところではないが、とにかく性癖を爆盛りしすぎたのである。女の裸体は史上に美しいが、これは既に美を破壊し実用のところまで来てしまっている。実用のところまで来てしまえば、合理主義の息子である俺はその効果を感じずにはおれないわけである。情欲の爆弾であった。

次第、期せずして両雄は衝突し、結果めちゃくちゃ味が強いのとめちゃくちゃ情欲が喚起されるのとで俺の脳は未曾有の大災害が如く破壊された。目の前にある麺類を箸で掴むことさえ厳しく、そもそもどういうタイミングで嚥下すればいいのかも分からず、越冬の準備をする齧歯類になっていた。映像処理の方もただの光としてしか処理できず、ただのデカい瞳孔だった。

こっから故事成語をつくることもできる。やはり、性欲と食欲は両立し得ないし、そもそも人間にマルチタスクはできない。

蓋し教訓であった。