モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

悪とそうでないもの

 私は自らの意識に少女を飼っている。名前はない。行動理念もない。コードもなければ心もない。与えていない。性別を与えたのは、彼女を自己の対照におくためである。

 少女は常在せず、一定の条件が整ったときに現れる。大抵は、現在地から二歩程度前の視界に現れ、そののち辻の向こう、人集り、壁の奥、地平に沈んで消える。それは意識において一瞬の間に行われ、私はいつも彼女の面立ちを掴み損ねる。髪は揺れる程度に長いか、身丈が肩ほどなら身長は150センチ程度か、そうした影形の情報は得られてもその詳細までは得られない。

 しかしながら、彼女の存在理由は確かだった。

条件、それは私が何か現実の法則によって欲求を妨げられていること

条件、私が破滅的な蛮行による既存価値の破壊を期待していること

条件、物理的または社会的に死に得る機会が眼前にあること

 それらが、彼女が出現する凡その条件である。

 少女は出現し欲求を叶える。法則を破壊し、状況を破壊し、自らをも破壊する。

時に、彼女は式典に登壇し新入生代表をぶん殴って退場させられる

時に、鴨川に投身する

時に、自転車と狂走する

時に、ホームで人を押し

時に、赤信号を無視し、

時にして、車に轢き殺される

時に、ホームに投身する

 少女は義を破っては死んだり、また物理的に破壊されて死ぬ。いや、死にはしない。生を与えていないのだから死ぬことはない。現に彼女は何度でも再起する。再起しては斃れ、斃れては再起する。死ぬ、とそう表現するのは、私が「死んだ」と思うからに他ならない。私は少女に死んでほしいのか。或いはその光景を自己に投写して事実紛いの心象を築こうとしているのだろうか。

 その少女を殺害し続ける心理にはきっと厳粛な希死念慮が潜むのだろうと思われた。それを代弁し暗裡に解消する少女は自己にとっての安全マージンなのか。心做しかこの少女を希死念慮の具現だとするのは違和感があった。少女は死ぬ。だが死なない時もある。単に破滅を望むのではなく破滅を予見しているのかもしれない。

 安易愚直だと思われることが多々ある。雨の日に傘を差さなかったり、ドブを泳いでみたり、手を炙ってみたりだとか。それらは間抜けでどうしようもない愚行だけれども、それに遭遇しないものはその危難さえ知りようがないのだ。ゆえに少女は代弁する。この危難の末に破滅がある。ゆえにこれは愚行だからお前はするな、そう言っているのかもしれない。

 先だって、少女はまたひとつ愚行をした。

 少女は、SNSを悪とそうでないものとを分別するツールとして使い、それを大いに喧伝した末に炎上した。