モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

無題

今朝は夜だった
多少の目眩は気のせいでしかない
あくびを噛み殺した。
こんな日々ばかり集めて、私は人生と呼んでいる

「人よ、それを人生と呼ぶのだろう」
あらゆる理不尽を飲み下すための便宜であり、巨大な憤慨であった
5千字のレポート、過積載、どうしようもない無能、、、
おお人生よ、それを人とは呼ぶまい
人生の不可逆性はここにもある
例えば、月曜日が来るだけで嘔吐してしまう
そんな人生にしか意味はなさそうなのだ

いつかのレポートに、「(私は)何も無論拠に言っている訳では無い」と記した
だが無論拠なものに意味を与える行為をどうして辞められない
あわよくばわたしさえ無論拠になりたいくらいに
そして意味は誰が与えるか
答えを知るものは多数いるが、誰しも私を前にしては言えない
肉体を失ったときのことを考えている

肉体なしじゃ、きっと会話はできない
呼吸もできない
拍動もできないから生きられない
数字の発明が、人間の物質依存を招いたと考えていた
しかし、人間はそもそも物質でしかない
仮に精神があるとして、それが何らかの信号を発して肉体を動かすことはありえない
即ち、精神など無いのと変わらない
だからこそ、そこには意味があるのだ

目の前にあった二人の女子高生
一人は美しい首筋を曝し、一人は滑らかな足を曝していた
果たしてどちらに意味があるだろう
今朝も人が死んだ
月曜日が来るだけで死んでしまうような人生
やはり、そんなものにしか意味はない