駅に人糞がふたつあった。
7時に来た時にはなく、7時半にもう一度来てみれば、そこに人糞があった。
人糞は、ふたつというよりひとつである。元はひとつだったものが綻び、分かたれてふたつに見えていた。
俺と同僚は笑ったのである。なんというか実にみごとであって、毅然とあり、臭いもなく、じっと佇んでいた。嘲笑、というより意外の感想であった。
「人のものとは信じられん」
だが、あれだけ人のおる中で、決った場所でうんこをするものが、果して幾ついただろうか。なんの不自然もなく、きっと鳥獣の仕業と信じたのは何故だろう。あれだけ人がいて。どう見ても大型生命体のものと分かるのに。ともすれば、あれだけの人がみな決った場所でうんこをする方が、だんだん不思議に思えてきた。
だからあのうんこは、極めて自然回帰的な意味を持つ、有機的で美しき輪廻の性。人界に舞い降りた仔鹿の様に愛おしい。我々の故郷。帰るべき場所。故に人の糞なのだ。
〈糞団子…(前略)排泄物に懐古を感じるものだろうか〉
そしていつか、俺もうんこを漏らす。