モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

終着駅へ

 日常の隅にひとつ許せない点があるとするなら、それは、漫ろ続く地獄と形容される、ある一種の必然性である。

 如何なる思考において、いかなる手段を持ってしても、どうせ同じ結末を辿るという固着。固執。執拗に求めるでもなく、ただ流れるままに帰途に着くというのは、何か諦観めいた感情とともに出される現実の、現段階の不許容であって、また現実に束縛される遣瀬なさの化身でもあり、ただ、こうして電車に揺られているだけの時間が、以後の生涯においてなんの意味も持たなくなる悲しみは、性質として不可分であり、この夕景の、素知らぬ隣人の温もりも、排外の個人しか許されない空間も、呼吸と瞬きの間隙に潜む憂鬱も、この眠り出だすゆらぎさえも、なんの意味も持たないと言うのなら、この帰途たる人生に何の意味も見いだせないのだろうか。

 焼かれた山、青藍に滲む空、降り来る雲雲の階を呆然と眺めながら感じる、寂しさや悲しみといった感情さえなんの意味も持たない。遣る瀬無い。何事もなせぬ無力感に囚われ自身を失する時間、電車という人と時間とを圧縮する有意性存在の影に、彼らの思いはただの貨物に伍する。もの思わぬ貨物に…

 延々と続く轍を踏めば何処へでも行けるというのに、その匣に囚われ続けることに意味はない。ああ、人生のようなものだ。このまま何処までも行ってしまおうか。