モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

一月も四日になりまして、すこし遅めに地方の祖神の元へ詣でたんですが、そのついでに御籤を引きましてですね。年が明けてから三度目になるんですが、如何せん出目がバラついております。近くの厄神では吉、平安神宮では凶、そしてこの祖神では小吉と出たもんです。年末、勢いで引きました西宮神社では大吉を当てたんですが、新年開けてみると早々に運気が低迷しております。困ったことですな。

さて、例の祖神の境内にて御籤の内容を改めておりましたところ、どこかしらちびっ子の声が聞こえてまいります。声のする方へ目を配ると、一組の親子連れがこちらを見ております。ちびっ子は母親に尋ねました。「あれなにしてはるん」と。ここでいう“あれ”とは、その差した指の示すところにある私のことであって失礼極まりないのですが、それはさておき、私はその時御籤を読んでいたので、母親は私のありのままを言えば即ち正答と言ったところで、こんなに簡単な問題はないと、私も正鵠が射られるを待っていました。母親はこのような易問にも仰々しく腕を構えて見せ、三秒ほど悩んだ振りをしていました。この母親も中々に曲者であるなと益々関心の次第、ついに回答が下されます。

 

                 「分からへんわ」

 

その時、私はただ、悲しかった。

命運尽きかけの一年が始まります。