モペゾム・ド・思考

抽象性、無意味、無駄、

恒久的平和

 恒久的平和を保持するために必要とされる争い、恒久的かつ微弱な争いがある。それが一定の対立の間に生じることは言うまでもない。

 犬と猫。海と山。夏冬。きのこ、たけのこ。これらの間に人間はほとんど制約された多様性を見つけ微弱な意思という意味で微弱な闘争を成す。

 両者は真のところで差異はなく、それ故に対立は常に均衡あいこを繰り続けるじゃんけんのようなもので互いが互いをのし決着が付くなどということは決してない。そして互いに勝利は求めておらずそれどころか闘争の只中にあることこそに意味があらんという体裁である。ゆえに彼らは平等たらんと暗黙に契り、時に一方が劣後するときは一方が補正するよう仕向ける。ここ数年きのこ派の劣後が著しいのに未だ喧々諤々をやれているのはこのためである。

 両者は平等でなくてはならない。与える損害も受ける損害も鏡写しでなくてはならないのだが、その唯一にして鉄の法則さえ守らない賊徒が存在する。それが二つ折り財布の連中である。

 

 この話は結局二つ折り財布に仕舞われていた札が折れて萎びて長財布に入りにくいことに対する文句でしかない。貨幣といえ皆人等しくあるべし天賦の共有さえままならない賊徒ではないか。その損害が平等であればよいのに連中は我らが丁寧に伸ばし整頓した札を懐中に含むのに何の苦労があろうというのだ。それなのに何故曲げる。なぜ曲げたまま仕舞う必要があるのか。なぜ曲げる必要があるのか。札はなぜ曲げられ萎ばなければならない。これは札にとっても不愉快千万でありレジ打ちの人間にしても不愉快千万でありむろんわれわれにとっても不愉快千万の悪行に他ならない。

 二つ折り財布遣いは小銭だけを使うが良いと甚だ思われた。