はーー、こいつら乙女過ぎンぜ!
ちょっと待てよ?「乙女過ぎる」ってどういうことだ?そうやって揶揄した女達に共通項など見当たらないのではないか?
・エリス『無職転生』──素直じゃなさ
・和田『フードコートでまた明日』──排外的な一途さ
何にも共通項がない。こじつけることさえ出来なければこの記事は終わりだが?
はぁ、最近はいつもこうだ。何かボーっとしていると霹靂が駆け抜けて記事を起こそうとするのであるが、よくよく考えてみるとごく単純な認識の修正でしかない。意気揚々と余勢を借りたものの、その実体の薄弱さに殆ど呆気に取られる。太山鳴動とはこのことか。
これはつまり、あまりに意味の薄氷とした平生を送っているために、ちょっとばかしの微動さえも常態を揺るがす一手になるということだ。そのために、俺は余人のつまらんと言う映画に対し良い評価を与え、ついぞその面白さを説明することが敵わないのである。
「あの映画面白かったよねー」
「そうなの?どういう点が面白かった?」
「俺がめっちゃつまらん人間だから相対的に何でも面白く見える」
記事のネタは幾つもあるような気がする。だがそのどれも内容を補充できる程意義に満ちてはいない。先の凡庸な気付きであるとか、キショい妄想とか、色々ありはするが抽象的で煩雑である。そうして一寸、別の表出方法を考えてみた。それが昼に描いた絵である。
あれは、単なる練習であった。五体の関係がよく分からなかったため、様々な構図を貌ったうちのひとつである。元々はデビルマン走法を描こうとしていた。よく見ると、上体が左肩を上に捻れており、原版では上体の上に左腕が位置していた。完成版では、上体を左肩方向に捻ったにも拘らず左腕が下に降りており、ちぐはぐの状態になっているので、作画が狂っているといえる。狂った理由は、先の通り霹靂が過ぎったためであった。
それが、ウマ娘四足の方が速い説である。当時は、アニメを見つつ絵を描きながらウマ娘をやっていたので、そういう不可思議と邂逅した。ウマ娘は二足で走っているが、あれは競技的なレギュレーションでしかなく、野生では四足の方が速いという説。
突拍子もなく、予後もクソもない妄想である。ただそれは、きっと文章で表出したときの限界であって、絵で表出すれば多少は見栄えのするものになるだろう。そうして俺は久しぶりに筆を執ったのだった。
結果としてどうか。
うーーーん、文章で読むよりかはリアリティがあっていいんじゃない?
そうだね!
そんな気がする。あのあとなんか自分が描いた絵を見るのが嫌でTwitterを開けなくなった。俺ってまだそういう羞恥心みたいなの残ってたんだな。デジタルのときはあんまり感じなかったけど、アナログだと如実にしんどいね。何でだろうね。
これもまた気付きなのであった。人生とは気付きの連続である。ただその中で、何が優れ、何が重宝されて然るべきか。霹靂が過ぎったというだけで、さも大儀そうに退屈を喧伝してはならない。ただ、たとえ玉石混交であったとしても、それは気付きである以上例外はなく、簡単に見棄てられてはならない。退屈であれば、その退屈を取り払いさえすれば石も玉となるのだ。俺はその可能性を模索していたい。
和田へ
ありがとう